広島の人なら平和大橋のこの欄干は一度は目にしてるはず。
でも、謂われまでは知らないはず。
ボクが知ったのは、「イサム・ノグチ 幻の原爆慰霊碑」を見てから・・・
西方に「いく」と東から「つくる」と彼が名付けた平和大橋の欄干。
実家に帰省できたので、改めて観にいった。
それは子供のころの記憶より、ずっと傷んでいて、とっても小さくみすぼらしかった。
梅雨明けの蒸れかえる暑さのなか、川風に吹かれながら橋を渡る。
むろん彼の名が記されてるわけでもなく・・・
あの番組を見た人以外に知られることもないだろう。
当時のプロジェクトからカレは抹殺されたのだから。
今日も平和大橋の上は車がひっきりなしに駆け抜け、川には間抜けなピンク色の遊覧船が発着する。
そして、ジェットスキーが暴走族のような音をたてながら、波をけたてながら走り去る。
これ見よがしに。
61年前、水を求めて息絶えていった幾十万の人々が見上げる、その川の上を。
画像は、平和大橋の欄干東からの「つくる」
初出:関心空間壱式